置いておいて

オタクの雑記です

スーパースタァスペクタクルの好きな部分について

また劇スの記事なんですけど、やっぱりスーパースタァスペクタクルがとんでもなく良い。
スーパースタァスペクタクルには、初めて観た際に好きになった部分と、2回目以降からどんどん好きになっていった部分があります。
2回目以降から好きになっていった部分は、おそらくただ見た目や聴き心地の良さから好きと感じたのではなく、映画への理解が徐々に深まることで無意識的に読み取ってる意味があって好きになっているのではないかと思い、好きな部分について色々考えてみました。
一部はツイート済み・別記事に記載済みですが改めて書いてみます。

シーン編

イントロでのひかりの独白(7/27追記)

あの日観たスタァのキラめき〜あなたが生き返らせたのよ。神楽ひかりを、舞台少女に。までですね。
ここめちゃ好きなのに書いてなかった。前に感想記事で、ひかりと華恋はお互いがスタァを目指すきっかけとなっているので、原因がループしているよね(意訳)みたいなことを書いたんですが、このシーンがこのループの始まりと言えるかなと思っていてすごく好きです。

綺麗で眩しくて痛くて悔しくてゾーン(7/27追記)

歌詞やセリフが素敵なのもさることながら、宝石が散りばめられたような描写が美しくて良いです。この後のシーンで更に高く飛ぶための助走としてこれ以上のものはない。

「貫いてみせなさいよ、あんたのキラめきで」と言いつつも刺しているのはひかりという部分

見た目の良さとかテンポ感を意識した構成なのかもしれませんが、「私もひかりに負けたくない」という華恋の言葉はひかりが華恋の胸を刺したことでようやく出てきました。
華恋にとって最後のセリフは、演じるべき役のセリフではなく風船から空気が漏れ出すように、ひかりが空けた胸の穴から漏れた感情だったのではないかと感じました。
ただセリフをなぞっているだけではなくて、華恋の中にあったものが自然に出ていることを示唆しているようで良いなあと思います。

そして言葉だけではなく、ダメ押しで穴を空けた(華恋が本心を漏らすきっかけを作った)ひかりの刺突は、「あなたの中にある感情を見せてほしい」という告白じみた行為だったのではないかなと思えて凄く好きなのかも。

セリフ自体も良いですよね。2人でスタァになると言っていたのに、ようやく「私もひかりに負けたくない」という我の強さが言葉として出てきた。

最後のセリフを発した直後に華恋から溢れ出るポジションゼロ

ひかりとの約束を果たした後もずっと舞台に立ち続けるという決意の強さや貪欲さが大量のポジションゼロで表現されているように感じました。視覚的にも非常に美しいですよね。

歌詞編

星は何度弾けるだろう

これはただ語感がめちゃ好きなだけです。これまでのレヴューを一言で美しく総括しているかのようですね。

ようこそ私ポジションゼロへ

0≒何もない と読み取り、ポジションゼロ=スタートラインと仮定します。
レヴュースタァライトを演じきって現実の舞台に帰着するここが今 ポジションゼロ=スタートラインである というような意味が感じられて良いです。
たしかこの部分で皆上掛けを自発的に飛ばすんですけど、それは物理的な奪い合いを終わらせて自分の意思で現実の舞台に帰るというような意味があるのかなと思いました。私たちに物理的な戦闘はもう必要ありませんよ的な。‬
まあ卒業式の際に帽子投げるみたいで視覚的にも開放感ありますよね。あとは終わりが近いことを予期させて凄い寂しくなってしまう。終わらないでくれ。

いつかいつか届きますように空へ

この歌詞=スタァになれますように と読み取ります。
華恋とひかりは2人でスタァになるという約束(運命とは言いつつも先のことは誰にも分からないのでやはり約束)があったので、そこに義務感のような気持ちや焦りがあったと思います。お互いに誓い合う以上、成し遂げなければ「ならない」という義務感が多少なりとも生じるのではないかと。
その"誓い"に対して、『届きますように』という"祈り"のような言葉を使うことで、スタァに「なりたい」という純粋な欲求だけを歌っているように見えて凄く好きです。
あー誓いじゃなくて祈りなんだよなーと思いながら毎回号泣してしまう。


うだうだ書きましたが、目と耳から強制的に激エモ快楽物質を摂取させられてキャパオーバーになった感情と快感が涙になって出てるというのが本質かもしれません。


劇場版の総合的な感想なども書いております。