置いておいて

オタクの雑記です

出会って4光年で合体について

たまにはキモオタらしくエロ漫画の感想でも書くか。

「出会って4光年で合体」が面白かったです。6月に買って読んだのですが、感想を書くために最近ゆっくり読み返していました。脅威の約400ページ。
タイトル調べてサンプルで最初の数ページを読んだ人、待ってください。多分そこだけ読んでもほぼ何も分からないのでひとまず放り投げないでください。本当に面白いので。あとTwitter(現X)とかで感想を検索しないでください。販売サイトのレビューも極力見ないでください。初体験が大事なタイプの漫画です。

本記事は、前半では頑張って重大なネタバレを回避しつつ本作のあらすじと魅力を語り、後半では全ネタバレ込みで感想などを述べるような構成とします。

「出会って4光年で合体」、面白いです。面白い漫画なんだ〜と思ってサンプルを読むと放り投げたくなるかと思いますが、前述の通りサンプルでは本作の面白さはほとんど分かりません。ノリが合わないなと思った人も、ひとまず読み進めてみてください。

確かにクセは強いです。あくまでもエロ漫画なので、開始2ページでちんちん出てきますし、3ページで口淫のシーンです。その後精飲もします。主人公は徹底的に醜男として描かれますし、ヒロインは小児性愛者が好みそうなキャラデザインです。下ネタもめちゃ多い。
それでもこの物語はとても面白い。さっさと説明します。

あらすじ

主人公の橘はやとは、東京のとある公衆トイレで生まれます。
生みの親にはそのまま置き去りにされ、その日公衆トイレに仕掛けたカメラを回収しにきた変質者である谷川順に拾われて4ヶ月ほど育てられた後、谷川の資金が底をついて出頭、「カセドラル」系列の施設に移送され、2年後に橘夫妻に引き取られます。
急に出てきた「カセドラル」ですが、この後何度も目にする単語になります。漫画を読み進めると徐々にカセドラルの詳細が掴めてきます。

橘家がはやとを引き取った2年後、妻の不倫がきっかけとなり橘夫妻は離婚します。はやとは金銭的に余裕のある父親のもとで暮らすことになります。

はやとは通っていた小中学のクラスメイトから疎まれており友達がいませんでしたが、ある日父の転勤の都合で田舎の祖母に預けられることが決まり、広島県の大久絵島という人口700人程度の島に転校します。なお、大久絵島は実在しません。

大久絵島には古来より独自の稲荷神信仰のようなものが盛んで、それにまつわる民話が伝わっています。
「その昔、四国には絶世の美女に化けて悪さをする化け狐がいましたが、それをお坊さんが成敗して本州へ送り、鉄の橋がかかるまで四国に戻ってはいけないと言いました」ここまでは本州の人でも知っているような話だそうで、この島にはその続きがあるとのこと。
「美女に化けたまま戻れなくなった狐は我慢ならず泳いで四国に戻ろうとしたものの失敗して大久絵島に流れ着いた。一人の島民に看病された狐はとても感謝してその島民と子どもを作って仲良く暮らしましたとさ」‪
だけでは終わらない。

「その子どもは非常に美しく、とんでもなく淫乱であり、島の男達を骨抜きにしていった結果、島民の総意で山奥に押し込められ、狐一族に子どもが生まれるたびに一人生贄に捧げるから人里に降りてくるなと言われてしまった。狐一族はそれを守り、島民は島一番の醜男か醜女を生贄に捧げ続けている」というのが島に伝わる民話。ここでいう生贄は狐一族の伴侶として捧げているものです。

狐一族は「くえんさん」と呼ばれ、島の西にある山に住ませていますが約束通り姿は見せません。しかし学校では席を用意して「くえん」を存在するものとして扱うことになっています。はやとの通う学校に、一つだけ誰も使わない席があり、それがくえんの席だということです。授業で配られたプリントもくえんの席に置かれますが、放課後には捨てられてしまいます。

クラスメイトの長曽我部からその話を聞いたはやとは、くえんが本当にいるならプリントを届けようと、くえん探しを始めます。

ここまでがざっくりとしたあらすじです。ちなみに1ページ内の文章量が異常で、ここまででまだ22ページです。前述の通り全部で約400ページあります。ちょっとした小説を読む感覚でいないと疲れます。

ここが良い

キャラのバックグラウンドの深さや絵の構図やコマ割りの巧みさなどもこの漫画の面白さに一役買っており、読み物としてもなんですが、体験として面白い作品です。
はやとがくえんを探しに行くシーンは幻想的で、これ本当にエロ漫画か?と思います。文章の下品さに対して絵が美しすぎて脳がバグる。
ちなみにセリフとか細かい部分をしっかり覚えておくと、「ここギャグじゃなかったんだ‪…‬‪…‬」みたいな体験ができて良いです。
設定がかなり練り込まれており、考察が好きな人も楽しめるような作品になっていると思います。

総じて感じたのは、「知識や設定の"韻"を踏むのが上手い」です。新しいやり方で脳みそが刺激されるのを感じる。1話のセリフを最終回で使うみたいなセルフオマージュがあって、それ以外の部分でも植え付けられた情報がもう一回頭の中でバシッと弾かれる快感がありました。読んでいて気持ちいいんですよね。下ネタとか凄いですが、エロに抵抗ない人には是非おすすめしたい。

こういう人は特に楽しめそうだな、という属性はあるので箇条書きにしておきます。触れるとネタバレになる属性もあるので、それは後述のネタバレ感想冒頭に載せておきます。

  • ノベルゲーが好きな人(ギャルゲとか乙女ゲーとか)
  • セルフオマージュ系の演出が好きな人
  • 考察が好きな人
  • 口淫が好きな人(ジョークではなく)
  • エロ漫画が好きな人





以下、重大なネタバレを含む感想と考察

まだ本作を読んでない人がここから下の感想を読んでもそんなに面白くないと思うので、もしこの感想文を読んでいるなら、是非本作を読んでから戻ってきてください。


前述の「触れるとネタバレになる属性」ですが「SFが好きな人」です。本作のジャンルはSFです。




p.48、振り向いたくえんの横顔に地の文が被って見えないシーン、これあまりにも良すぎて声出ました。2ページかけて振り返る様を描写するのも良いし、花がコマの外から咲き乱れていてはやとの脳みそから直で出力したみたいな絵になってて快感強い。その後も時々コマの外から花が咲いて最高。

僕の「今でもたまに思い出す美少女キャラ」はぶっちぎりでしゅごキャラ!日奈森あむちゃんだったのですが(原作読んだことないしアニメもちょっとしか観たことない)、くえんがすげ替わるんだろうなと思いました。「今でも」なので、それなりの年月が経っている必要があるかと思います。俺の人生に華やかな残り香を点々と置いていってくれ。

はやとの人生が常人とは大きく異なることが事前にある程度示唆されていて、そもそも出生がヤバかったりするわけですが、真男の家でゲームをプレイした時に(p.148)「お前みたいな‪…‬‪…‬わかんなくてこうなるプレイは‪…‬‪…‬想定はされてないと思う‪…‬‪…‬」「才能だぜそれは。他人と違う世界を見ている」というセリフ、はやとがこの後ミラクルプレイを起こす可能性をさりげなく補強していてかなり良い。現実的に考えると全く論理的ではないので、「作者がこの設定を作った意図はどこにあるのか」というメタ的な推論になってしまいますが。

実際漫画としてくえんとやってたのはエッチなことばっかりだったのに、途中に出てくるくえん文書群の引用(p.243〜248)によって彼らの僅か3ヶ月間に存在した幸せな日常が急に脳みそにインストールされる。ここで初めて、くえんを失ったはやとの辛さに少し感情移入できた気がします。はやと自身その辛さは幻肢痛のようなものでしたが。

p.291、谷川順への取材で「あの子はなんて手のかからない子だったのか。(中略)あの子は、ちゃんと困ったとき、怒ったとき、声をあげられるようになったのか、心配でした。」とある。はやとは実際宇宙から帰る手段がなくて困った時に、貸しがあったとはいえ真男を頼れましたね(p252, 303)。ここ良かったな。

p.304、クリ爆のアナルビーズに固執する理由が、数珠のような物体が穢れることに興奮の力点が存在するからでは?みたいなことを真男が指摘するシーン。p.232に出てくる「命の始まりの皮肉な構造」は、数珠の部分を世界の内側とするようにくっつけたとある。数珠を穢すとは、数珠→世界の内側に、穢す→証を残すという意味があるのかな、などと思いました。が、もう少し納得のいく解釈がしたいところ。

p.305, 306、真男がクリ爆を説得(くえん文書群小説化にあたってアナルビーズを出さないように)するために投げかけた言葉、実際にはこの漫画全編を通して言えることで、「正々堂々エロ漫画で面白いもの描きたいよ」っていう作者の気持ちなんじゃないかと思うとかなり刺さります。であるならばこの漫画はエロ漫画でなければならなかった。

ていうかナインテイルズ、9つの物語と9本の尻尾のダブルミーニングなうえにただ九尾の狐をイメージしただけじゃなくて、アナルビーズを尻尾に見立てたりしてるんだろうなと思えて面白いですね。

はやとがくえんを探しに行くシーン、島では鳥居に「戻れ」と書いてある(p.42)のに宇宙だと「この先、がんばれ〜、も少し!、進め」と書いてあったり(p267)、たぬきも怖い顔だった(p.38)のが微笑んでいたりして(p.266)良い。

p.283でp.8の「かかるかーっ!!‪」のくだりが繰り返されるの好き。

p.322、ここまで読んでると「尾の動作だけで宇宙を泳ぐ宇宙船が発案された」の時点で「絶対精子の形してるじゃん」と思えるんですけどマジで精子だったよね。まあ地球に帰る様は受精のようなんだろうなと思いますし、いいんじゃないか(投げやり) 4光年先への航行ルートが螺旋状になってる(p.275)のも精子の尾を意識した設定なのかな。

いわゆる「セックスしないと出られない部屋」を壮大にした話なんですが、p.374で明言されているとおり地球は地球で「セックスしないと出られなかった星」なんですよね。何世代も命を繋ぎながら文明を発展させて初めて宇宙に出ることができる、という意味では確かにそう。アホみたいな言葉で壮大な意味を伝えるのずるいんじゃないか。

くえんのために育った環境をそのまま持ってきたあの場所ですが、大久絵島の婚姻の儀式を行う賽銭箱まで本当に完全再現しているなら、あの時くえんが入れたのはただの千円札で、p.94での婚々の御札を失くしたというのはなんらかの理由での嘘ではなく、彼らの願いは本当に一言一句間違いなく一致していたということになりますね。ここ好きだな。


あとは少し謎になっている部分があるので以下にメモしつつ考察します。調べたりしているうちに想像できたこともあるので、メモがごちゃごちゃしてます。

・長曽我部光蔵が「テン子の息子」
・長曽我部真男が「葛の葉の息子」
テン子はおそらく天狐なんですよね。霊力を得た狐のことを天狐と呼ぶらしいです。葛の葉は安倍晴明出生逸話に出てくる安倍晴明の母(狐)の名前。

安倍晴明は天文道を学んでおり、実際占星術のようなものだけども現代で言うところの天文学に相当するので、真男の母親が葛の葉っていうのはその辺に設定の理由がありそうですね。真男ははやとに迎えをよこすために宇宙船作ったりしてますし。宇宙開発と天文道の繋がり。
ただ長曽我部光蔵がテン子の息子というのが分からず。たしかに暗示を解く方法をはやとに教えたりして、只者ではないというかくえんの関係者ではありそうなんですよね。くえんの暗示能力を汎用化した催眠兵器とかも出てきましたし。狸じじいじゃなくて狐じじいだったとかいうギャグもちょっとありそう。
という状態で下書きを放置してましたが、改めて考え直すとそもそもくえんのオリジナルとして天狐が存在している世界観ということですね。天狐がくえん一族なのかと思ってました。完全に灯台下暗しというか、ずっと初歩的な勘違いをしていました。
つまりくえんのオリジナルの「天狐」である、「村上テン子」の子が光蔵、同じく「天狐」である「葛の葉」の子が真男、ということですね。同じ天狐の子どもなので光蔵に預けたと。光蔵が暗示を使えるのも天狐の血を引いていると考えれば多少納得できそうですが、暗示能力はカセドラルがくえんを作った時に与えた力という説明もあったので、ちょっと納得しきれない部分もあります。ただ、天狐がそういう力を持っていたのを参考にした、という線も考えられます。

・はやとの蘇生方法
p.242にてさらっと触れられている人間の電子化の国際規格、はやとの蘇生にこの技術の一端が使われているのではないかなどと思いました。カセドラルが主導して決まった規格だし。はやと蘇生技術・手順の詳細は作中に出てないような気がします。


・はやとに座標の暗示をかけた存在
くえん文書群から2人がいる座標を特定できるようになっていたけど、誰がはやとにその座標を文書群に混ぜるよう暗示をかけたのかが不明。くえんの暗示は自分を忘れさせることしかできないため。
消去法だと語り部の役を担っていたカセドラルの長姉なんですけど、それにしてはそれらしき描写がない。


・カセドラル長姉(以後Cと記述)の回想 p.313「——五穀断ち? そういうのか、その状態って」「喧嘩売ってるのかおまえ」「五穀豊穣の神を鎮守神にしておいて。なんとか言いなさいこの」
会話の意味も分からないし、ここで回想した理由も分からない。後述の独白を解釈するための要素になりそうな予感はあるのですが。詳しい人教えてください。
ここまで下書きにして放置してましたが、読み返した後キーワードを調べていったら色々分かりました。

まずp.180で真男とCの「大師?(中略)私は東寺に!建てるとき木を分けてあげました!(中略)「好きだったの?」「!?なっ!?何を聞いてそう思った?はぁ!?うるさいな!」というやりとりがあります。
このやりとりから東寺と大師について調べたところ、東寺は真言宗の総本山、真言宗の大師は弘法大師(空海)ということが分かりました。(社会科目は本当に記憶ないので調べないと分からないんです僕は)
つまりCは空海が好きだったわけですね。LOVEなのかLIKEなのかは置いておいて。

次に、p.209で「ごはんの神様」が出てきます。Cはごはんの神様であると。つまり五穀豊穣の神様とはCのことです。僕は本当に察しが悪いなと思いました。
つまり、空海がCにお願いして東寺を守る神様になってもらったということですかね。そういう逸話があるらしい。
ちなみに五穀豊穣の神はウカノミタマであり、ウカノミタマは稲荷であるという説もあるようです。

で、五穀断ちです。空海は入定(永遠の瞑想に入ること)の前に五穀断ちしていたらしい。雑にwikiとか個人サイト見ただけなのでちゃんとした出典出せないですが、(まあ僕の雑な考察にはこれだけ情報あればいいので‪…‬)
空海はCが五穀豊穣の神であることを知っていながら東寺の鎮守神になってもらっている。それなのに五穀断ちして死にかけている。それってなんかおかしくねえか?(バカだからよく分かんねえけどよ)というのに加えCは空海が好きだし、それで怒ってるわけですね。好き合っている2人(はやととくえん)が帰りそうな(お別れが近い)ので、そのことを思い出していたと。
あと、空海の幼名が眞魚(まお)だそうで、真男はそこからとってるんだろうなあという感想。

ていうか弘法大師って冒頭に出てますね。つまりCは空海に退治されている?真男にも一回つままれているので、ありうる話ではある。


・Cの最後の独白 「私の血。分け与えた価値の回路。 理解しがたい矛盾のかたまりたちと、分かち合った価値の迷路。 こんなものでは到底操れなかった者たち。 いつかまた会いに来るかな、私の、可愛い可愛いたくさんの異形(いなり)さん。」
語感とか言葉のリズムとか気持ち良いし一部の意味はなんとなく理解できるのでかなり好きな部分なんですが、脳内翻訳不可箇所多。
もしかしたら作者自体そんなに深い意味を持たせようとしたわけではなく、漫画のオチとして収まりが良い形を模索した結果がこの独白であったと考えることもできますが、自分なりにちゃんと解釈しておきたいところではあります。

ほぼ何も分からんので今考えながら書いてみます。メモも兼ねるのでごちゃごちゃしますが。

まず「私の血。分け与えた価値の回路。」ですが、「私」=話者なので「C」。「私の血」=「Cの血」=「Cの体を構成する栄養」=「人間が生み出す矛盾/物語」。
「価値」=(Cにとっては)「人間が生み出す矛盾/物語」。

回路は文字通り回る路なので、循環する機構を示していると考えます。(というか「生体の代謝経路で、循環を示す部分」という記述をネットで見つけました。)「価値の回路」=「人間が生み出す矛盾/物語 が循環する機構」もしくは循環することそのものを指しているのかもしれません。

これ「"分け与えた"価値の回路」なんで、分け与えてるんですよね。Cからか、もしくは他の存在からか。分け与えるって普通自分から誰かに、だと思うのですが、「無尽蔵に物語を生み出す存在」についてp.256で触れており、それをベースにしてくえんを作ったとあるので、上記の存在からくえんに分け与えた、という意味とも考えられます。

そもそも「分け与えた」が「価値」にかかってるのか「回路」にかかってるのかも分からない。

では価値にかかってる場合、分け与えた価値とは何か。
「価値」はやはり「人間の矛盾/物語」だと思うので、それを分け与えるというのは意味が通り辛い。そのまま考えるとやはり「回路」にかかっており、Cがくえんをデザインする時に「無尽蔵に物語を生み出す存在」からくえんに分け与えられた「Cに必要な栄養を無限に生み出すための機構」が「分け与えた価値の回路」のようですね。転じてくえんそのものを示しているようにも読み取れます。この推測、あまりエモーショナルではないのでなんとなく納得いきませんが。

次に「理解しがたい矛盾のかたまりたちと、分かち合った価値の迷路。」です。「理解しがたい矛盾のかたまりたち」は、人間そのものですかね。p.316で宇宙飛行士が「私たちは(中略)矛盾を生み出し続ける装置だ」と言っています。
ここ空海についても理解した今はより分かる。空海はお腹減ってるはずなのにご飯食べないんですよね。欲求に対して矛盾した行動をとっている。特に命に関わることなのにやめないし、空海理趣経(作中にも出てきます)で男女の愛欲を肯定していて、欲を抱くことは悪いことじゃないと言ってるはずなのに五穀断ちして食欲に素直にならない。五穀豊穣の神を鎮守神にしておいて五穀断ちをするなどと「理解しがたい矛盾」を持っています。

「分かち合った価値の迷路」の「価値」は「価値の回路」の「価値」とは違う気がしますね。「価値の回路」における「価値」については「私の血」が同じ枠内に存在することや、「価値の回路」という文脈を汲んで、「人間の矛盾/物語」としました。
「分かち合った価値の迷路」には、同じ枠内に「理解しがたい矛盾のかたまりたちと、」=「人間たちと、」が存在します。
さっきと同じですが、「分かち合った」のは「価値」と「迷路」どちらか、これも後ろの「迷路」かなと思います。一緒に彷徨った、迷走した、というような意味であると考えました。つまり人間たちと一緒に「価値」について思い悩んだということかと。カセドラルメンバーにとっての価値があるもの、人間にとっての価値があるものとはなにか。
おそらくCは空海を愛していましたし、東寺の鎮守神として空海を支えたりしてきたわけです。そのようにして人間を近くで見守り続けたなら、大切なことについて一緒に思い悩んだと言えるのだろうなと思います。多分。

次、「こんなものでは到底操れなかった者たち。」です。「こんなもの」はお金のことであると考えました。独白の直前に賽銭箱から1000円札を取り出して胸に抱いたので。カセドラルは人類を統治するために存在していましたが、お金だけで人間の行動を操ることはできなかった、という意味だと思いました。実際土神とか口座に金振り込まれてもくえんのこと調べてたし。
ただ、色々編集している間にお金だけではなくて人間の欲望全体を含んでいるようなイメージになってきました。冒頭で空海に退治されたという部分が作中で本当に起こっていた話なら、空海は性欲で操れてないですし。そう考えると「分かち合った価値の迷路」にも通じるのかなと。

最後に「いつかまた会いに来るかな、私の、可愛い可愛いたくさんの異形(いなり)さん。」です。異形さんは素直に考えて人間たちのことを指すのかと思います。空海という人間を愛したCにとって、人間は栄養を生み出す装置ではなく、自分の子どものような、自分の分身のような存在だったのかもしれません。
しかしここで異形さんと書いて「いなりさん」と読ませるの、韻踏みが上手すぎる。快感が押し寄せてきます。壊れちゃうよ。


こんなもんでひとまず感想と考察を終えます。なんというか、作者の文章に化かされたような感覚で感動しながら読み終えてしまいましたが、意味を正確に読み取れない部分が結構多かったです。
また読み返したら発見がありそうな気がしていますが、とりあえず他の人の考察を色々読んでみようと思います。

これを読んでツッコミどころなど見つけた方がいたら、優しく指摘していただけると嬉しいです。